待っていても何も起こらない!
先月から実家を離れ
とある山奥の古民家で暮らしています。
ステイホームと謳われていた期間、
家にこもり
読書やオンライン会議、
アクセサリー制作やネットサーフィン。
頭の中で、
「こうしたい」
「これがいいな」っていう
妄想を膨らませる。
でも、いざそれを叶えようとすると
なぜかモヤモヤ、やる気が起きない。
家の中で「うーん…」と考えたり悩んでいても
ワクワクしない。
「もう、今は家から出る時だ!」と
決断し、その一週間後には山奥に。
(ちょうど緊急事態制限も解除されたタイミング)
今ここ、
窓から見えるのは山山山
自然に囲まれて聞こえるのは鳥のさえずり
山に沈んでいく夕日
満天の星空
食べごろの野草
生後2か月の猫(幸!)
今までと全く異なる環境に
身を置くことで
新しい発見や人間関係が生まれ、
ワクワクする気持ちが蘇ってきた!
家でいつまでも待っていても
絶対に降ってこなかったものばかり。
欲しいものは
自分から取りにいかなくちゃ、だね。

童心に帰る
子供の時のあの素直な感覚
ありのままの感情を言葉にする
本能のままに行動する
他人からの目を気にしない
なんだか、知らず知らずのうちに
私たちはいらないものを沢山背負ってしまっている。
「やりたい」と心で分かっているのに
「できない」と決めつけていることが山ほどある。
どうして?
逃げたいときは逃げればいい
歌いたいときは歌えばいい
遊びたいときは遊べばいい
やりたくないことはやらなくていい
それじゃダメなの?
我慢すること
耐えること
向き合うこと
もちろん大事
でも、それをすることで
心が苦しくて沈んでしまうなら
無理に向き合わなくてもいいんじゃない?
って私は思う。
やりたくないこと、辛いことをしているときの自分って
どんな様子?
私は
輝いていたい!
ワクワクしていたい!
そう思ったとき、
それってもともとの、本来の姿じゃない?
って思った。
子供のころの
好奇心いっぱいでなんにでもワクワクしている様子。
私はそれでいたいんだ、ってわかった。
そして、
輝いているときの私って
エネルギーに満ちてて
周りのことを巻き込めると思った。
今まで知らないうちに背負ってしまったことを
一つずつ下ろして
どんどん軽くなりたい。
知らないうちに背負っていたから
何を背負っているのか
実はまだ分からない。
でも、
いろんな人と出会ったり
知らない環境に身を置くことで
「あ!」っと気づく。
「どうでもいいプライドがこんなところに…!」
「人に良く見られようとしてる…!」
発見して
そのお荷物とサヨウナラ。
25年目にして自分に対する発見が日々ある。
川が好きなのに飛び込むことが怖い自分も発見した!
「私、案外ビビりやん!」ってね。

人生ハードモード万歳!
毎日毎瞬間ハッピー!
そういいたいところだけど
現実に目の前に起こっていることは
そうでもない。
怒りが湧いてきたり
悲しみが抑えきれなかったり
不安が尽きなかったり
でも、その現実に対してどう対応するかは
「今」の自分次第。
悲観的に思い悩んでいても
楽観的に悩みを誰かに共有するのも
自分次第で選べる。
じゃあ、自分はどうしたい?
私は悩みを抱え込みたくない。
人生はハードモードだけど
それって逆に言えば
誰も知らない経験をしていたり
いつか話のネタになる。
自分の人生、めっちゃ面白いじゃん!
って、困難が目の前に来たときは
切り替えるように決めた。
おそらく、たぶん、25年目は、
今まで直面したことなかったことと向き合ったり
逃げてきたことにも目を向けることになるかもしれない。
困難があるおかげで
私たちは喜びを実感できる。
だから、
人生ハードモード万歳!
