満月のお約束<愛>

心に何か引っかかってた

自分の心は
誰にも分からない、見えない。

でも、時に
自分が何を思っているのか
どうして素直になれないのか
分からない時がある。

本当はどうしたいの?

それに答えるのに
何かストレスを感じていた。

生産的なことをしなくては…
今この環境を有効活用しなくては…
これをしなくてはもったいない…

これが自分の心に引っかかっていた。

「○○しなくては…」
「○○すべき…」
「○○したほうがいい…」

これは、
頭で考えていることだった。

心から湧いて出たことは
「○○したい!」
「○○はワクワクする!」
ということだ。

自分が無意識のうちに
「○○すべき」思考が先走っていた!

まずこれに気づいた。

そしたら、
他人が「○○すべき」と言っていることが
とても気になりだした。

その言葉を聞くたびに
「ハッ(出た)…!」と反応するように
今なっている。

 

心をオープンにするってこういうことじゃない?

「○○すべき」思考にいるときの自分は
何か心が塞がっている感覚が常にあった。

まだ、少しづつ開いている過程。

でも今まで、
心をオープンにすることを
愛を与えること、だけだと思っていた。

ちなみにここでいう愛は
LOVEというよりAFFECTION(愛情)の感覚。

先日友人と会話し、
近況を話していく中で急に見つかった。

心をオープンにするということは
与えること
そして
受け取ること
だって。

私は心をオープンにして、
「与えること」「放つこと」を意識していた。

でも、何か空虚だった。

自分は愛されていないんじゃないか?
って。

違った。

相手が与えてくれた愛を
ちゃんと受け取っていなかった。
いただいてなかった。

手前まで来ているのに
右から左へ流していた。

あ、これ私宛じゃないですよね?
次の方へどうぞ。
みたいな感覚。

次の方ってなんだ。笑

私に届いているのに
受け取ることが怖かった。

心の中で
「私宛じゃなかったら、どうしよう」
「怖い…」
という声があって
受け取らないことで自分を守っていた。
傷つくのが怖かった。

だから
受け取らないようにしていたんだ。

自分が与える立場で、
相手がそれを受け取ってくれなかったら
どう感じるだろう?

それはとっても悲しいことだ。
行き場が無い。
愛はどこへ行くのだろう?

まだ、受け取ることに
緊張や恐れがある。
けど、
気付いて行動を選択することができるようになった。

心をオープンにするということは
自分から与えることと
いただいた愛をありがたく受け取ることなんだ。

 

愛が同じ形で返ってくるとは限らない

与えた愛に対して
同じ愛の形で返ってくることを
人は望む。

受け取った=同じ気持ち
ということを期待する。

でも、
人はそれぞれ。

誰も
他人を支配することも
コントロールすることも
できない。

それは確実。

だから、
自分が与えた愛が
違う形で返ってきたり
望んでいた形じゃなかったりしても
当たり前。

そして、
いつ返ってくるかなんて
分からない。

でも、
自分が心をオープンにして
愛を与えることって
何か損なことある?

お金がかかることでもないし
誰かの協力が必要なわけでもない。

だったら
じゃんじゃん与えちゃおう!

そのために
このかけがえの無い
自分という存在、
いいもわるいも兼ね備えた自分を
誰よりも愛おしく感じること。

自分を犠牲にして誰かのために、
では愛が続かない。

自分が何に痛みを感じ
喜びを感じるか
素直になること。

そうして
素直な自分を表現していくこと。

少しづつ
自分のことは変えられるから。

さあ、また前に進もう。